WORK STYLE フレキシブルな働き方が、ブランドをより成長させる

「夢を追うこと」と「夢を続けること」は両立できる?

昔気質の企業が多いと言われている日本のアイウェア業界にあって、
仕事の取り組み方に関してとても柔軟な考えを持っているトニーセイム。
ここではその一端を知れるエピソードを紹介しよう。

 2014年からトニーセイムのグローバルなデザインチームの一員としてデザインを担当してきた高木 亮輔さんは、自分自身でブランドを立ち上げるという長年の夢を実現するべく、この春で“社内デザイナー”を卒業し、独立を果たした。しかしトニーセイムは、これまでと変わらず同社の企画に情熱を持っている彼の想いを汲み“外部デザイナー”として高木さんと手を取り合うことに。
この新たな試みを決断した細井さんはその背景を語る。
「高木さんから独立して自分でブランドを立ち上げたいという相談があった時は、新しい門出を祝う気持ちと共に当然寂しさも感じました。しかし、彼自身、トニーセイムの企画の仕事にもやりがいを感じているというので、彼の意思を汲んで『ウチのデザインも続けてみたら?』と提案してみたんです。トニーセイムのラインナップは2万円台から6万円台、コレクションによっては70万円のフレームを作るほど幅があります。きっとウチでしか出来ないこともあるはずですし、何よりこの変化はブランドの進化につながる。そう素直に思ったんです」
 そんな願ってもない提案を受け、高木さんは外部デザイナーとして企画に関わることが決定。

高木亮輔
ブランドとしても変革のタイミングであった2013年にトニーセイム入社。眼鏡の専門学校で培った知識や前職のフレームメーカーで磨いた経験をもとに、直営店勤務、営業を担当したのち、商品企画を担当。現在もトニーセイムのコレクションを生み出し続けている。

 「20年以上も前からアイウェアブランドの立ち上げを目標としてきたので、退職することは悩んだ末の決断でした。その一番の理由は、自分のブランドを始めたいという想いと同じテンションで、トニーセイムのデザインも続けたいと思っていたからです。そもそもこの業界でデザイナーになれる人はごく一部。僕は眼鏡の専門学校を卒業後、あるフレームメーカーで11年間働きましたが、何度も希望を出してもデザインには一切関われませんでした。だから、今、こうしてデザインに携われることはものすごく贅沢なことなんです。退職後もその環境に身を置けるという提案に、トニーセイムというブランド、そして代表である細井さんの懐の深さを感じました」
 高木さんは自身の夢を追いながら、すでにトニーセイムの外部契約デザイナーとして新たな働き方に挑んでいる。その表情はとても明るく、そんな彼の姿を見る細井さんもどこか嬉しそうだ。

 「高木さんのデザインには、ブランドとしていい眼鏡とはどういうものか、その抑えるべきポイントがしっかりと共有されて、それがデザインに踏襲されていました。僕はブランドとしてモノづくりをするうえで、みんなが想いを共感し、共有することが一番大事だと思っています。たとえば、ブランドの未来を共有し、お互いが共鳴できて、一緒にブランドを育てていけるのであれば、そのつながり方はどういう形でも構わないと思っています」
 今後、高木さんが自身のブランドを立ち上げ、外部との関わりも広がっていくことで、インプットするものも、アウトプットのクオリティもきっと変わってくるはずだと細井さんと期待を寄せる。
 「新しい体制がどんなものを生み出すのか、今は楽しみでしかありません。また、今回の件で私自身も視野がグッと広がった気がして、会社として1歩踏み出すことができたと感じています。これを機に意識も変わったので、もっと多様性を持たせた組織づくりを目指していきたいですね」
  ブランドが成長していくために必要なことは“変化を恐れない”こと。トニーセイムのブランドコンセプトでもある「コネクト」にもつながることだが、今後、同社はより一層フレキシブルに変化し、人と人のつながりを広げることで、さらなる成長を遂げることだろう。